Tauchi Sakura*Art

武蔵野美術大学視覚伝達デザイン出身。絵画・イラストレーションに関するブログ。前頭葉に幸あれ。

3月25日フランケンシュタインの誘惑

5回続いていたフランケンシュタインの誘惑3月回、「愛と絶望の心理学」が夜9時から放送になります。
https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/episode/te/YMJW87Q9L2/
やっていて内容的には一番しんどかったかもしれません。このフランケンシュタインも、紙に向かってひたすら内面世界を表現している中である時ふとお仕事をいただき、新しい世界を垣間見れたこともありスタート時からキャッキャして楽しく絵を描いてたもんですが、今期は色々と考えさせられました。その分大事な回だったかも。モンスターマザーはじめとする実験器具、それだけ取っても結構つらかった。ハーロウが酒浸りでうつ病になってまで研究をしていたことも、結構つらかった。
幼少期の孤独感を感じるカット
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様々な気持ちが湧きましたが、ある程度機械的かつ説明的に、時間制限ありきでイラストを上げていかなくならない。でもやはり描かれる対象物=(今回は動物実験の猿やネズミ)には感情があり表情があります。でもそれを記号的に描かないと素材として成り立たない。ふだんは絵画をやる身として、こんな場合の制作の喜びとはなんだろう…なんなんだろう…とも思いました。

※でもネットを見たらいい感じのカットに仕上げていただいたのがちらっとみえて、やっぱり「嬉しい」という気持ちが一番に湧いてしまいました。そして結局その気持ちには勝てません。ふしぎなもので。

(いったんシリーズ一区切りとなるので今まで描いてきて素敵に仕上げてもらって印象深かったものを振り返りました。よかったなあー。何回見てもいいです。)
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(まだいっぱいあるけど何回見ても我ながら飽きないのです)

愛は心理学で解明できるのかという今回のテーマですが、一つの問いに対する答えを求めるために何かを犠牲にしてしまうことはキツい。
成果を上げていようがどこかに犠牲を払っていること。ただ、それを手放しで非難できるかといえば…どうだろう。
私自身、偉業を成し遂げた人間でもなんでもないし、科学者のことは理解できない。動物実験。最悪。お前の鬱。知るかよ。画期的な実験方法と概要。知るかよ。だけどそれでさえ、上記のように、心が傷んだくせに「描いてよかった」「知ってほしい、見てほしい」と最終的に感じてしまいます。その心の動き一つとっても、完全に他人事として非難はできないのかもしれません。
だし、それまで愛が動物にはないとされていた通説を考えれば、覆して愛という形のないものを立証したことは意味があるのかも。


ぜひたくさんの方に見ていただきたい。

Energy 2021

アートブック事務局より5月出版されるアートアンソロジーブック、エネルギーをテーマにした「energy」に1ページ掲載されます。
光と電気、現実と虚像、生命をテーマに描きました。Amazon他全国書店での取り扱いとなります。
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色々な作家の作品がオールカラーで見られるアートブックです。
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は前回掲載号。前回はちょうど倒れた直後に描いてたなあ。リハビリで。そしてエネルギーを描くのに自分のエネルギーがいったんゼロになったのを持ち直すのにそこそこ気合いを必要としました。

今回は描写にペンのみを使っています。

モチーフとなったリラダンの「未來のイヴ」は美しい外見と裏腹に中身のない俗な魂を持った女性アリシアに悩む青年のため電気技師エディソンがアリシアの姿を借りた人造人間「ハダリー」を制作する話。ハダリーは人造人間でありながら人間を越えた不可思議な霊魂を持ったものとして描かれます。
俗と非俗、肉体と精神、外見と内面など様々な二面性のテーマを持ったとても魅力的な小説です。文体はクラシックで、形容詞が宝石のようです。

原画は別で展示の機会に。

十字架の記憶

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あまりメインにはおきたくない点描だけど点描している。

最近、病気になった時のことをよく思い出す。不眠と高熱にともなう幻聴と幻覚。体が火に包まれるイメージ、空から星が降ってきてお腹に刺さるイメージ、耳の中で爆発するガラスの割れる音と人の叫び声。暗闇に浮かび上がる吊られた人影。あまりの恐怖に前後不覚になって他人によくわからない連絡をしてしまったりだとか。
そしてそれが収まった今、何事もなかったかのように振る舞っているけど、ふとすると苦しく、言語化したくなってしまう。
ここまでは実際に存在しないものが見えていたのは間違いないけど、病院の窓を開けた時にブラインドから漏れた朝の光が壁にうつって十字の形に見えた。あれも幻覚だったのだろうか。もともと信仰心なんかないのに、なんだか救いのような気がして、私は光に向かって必死に手を合わせてしまっていた。携帯も没収されていたし、病室に一人きりだったし、理解されないだろうから今まで誰にも言わなかった。私の頭の中にしかあの十字架はない。

最後のその症状から一年経った。
疲れたら眠れるようになった。

働いて、また絵を描いている。自分に対する理解が一度根底から崩れてしまったこと、いつまで時間があるのかなあとか、これからどれぐらい発表の機会があるだろうかとか、その他消えないしんどさを言葉で吐き出しそうになってしまうし、いい形で作品に結実したいとまでは言えない。
ウィリアム·ブレイクは幻視を作品にできるが、それは天才だからだ。

ただもし万一神様がいるとしたら、なんとなく信じたいような気がしている。最近。わかんない。やっぱいないかもしれないけど。

アートブックアンソロジー参加予定

2021年5月末にアートブック事務局様より発売されるイラストレーションのアンソロジーブックに参加致します。Amazon他、書店取り扱いになります。
こちらは前回掲載のもの。
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詳細は追って告知します。

形をとるということ/デッサン

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17~19歳当時美術予備校で石膏や静物デッサンをしていたこと、美術予備校で講師をしていたこともだいぶ過去のことだが、貴重な時間だったと思う。
昔のことであまり写真を残してないので、帰省時暇な時撮った数少ない写メ
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あと、当時のクロッキー帳メモ
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ネット上で確認できる石膏はこのへんかな
https://matsubi.com/new-sakuhin03.htm


先日、メッセージで色々と主義主張をぶつけてきた浪人生の習作を見て、思ったことがある。独自の制作スタイルを語り、人に賛同や庇護を求め、それが受け入れられなかったら否定する前に、すべきことがあるんじゃないか。それは対象物の形を真剣に追いかけることだ。
石膏でも静物でも、その形、その比率になるまでに数えきれない芸術家、職人、デザイナーなど制作者の試行錯誤がある。人物なら天然自然の、1ミリもずれてはいけない造形がある。デッサンとして描く場合、それに無頓着でいてはいけないし、形と比率に込められた作り手の「思い」をくみ取り、思い込みを捨ててまず誠実に再現すべきだと思う。植木鉢一つとっても。まずきちんとモチーフと向き合い、見る·観察する。そういった姿勢がすべてに繋がってくるはずだし、その基礎を抜かして先の表現はないと思う。
とにかく目で見て足りないならデスケール使えばいいし、測り棒使えばいい。

勉強できる時間は何度とない大事な時だし、謙虚に対象物と向き合える経験は楽しいはず。目を曇らせているとすぐ過ぎ去ってしまう。それを無視するのは損でしかないよなあと思う。
土台のない発展はない。
受験シーズンも3月に入って合否結果も出ただろうけど、そんなことを考えた。

手元を離れたもの

12月、アートコンプレックスセンターでの大細密展も終わりました。今回お引き渡しが決まったもの
「フライングブレイン·フラスコ」
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「ダイヤモンドの中の狼と女」
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「うめ」
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「うめ」に関してはかなりお気にいってくださったようで、飾った写真もいただけました!
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以前購入していただいた「さくら」と並べて。
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「うめ」は高円寺で飲んでは色んな鬱々した話やわくわくした話を共有して親しくしていた元友人がモデルです。真夜中の公園でブランコ乗りながら大森靖子歌ったりとか、ガード下の四文屋の屋台で飲みながら語り合ってそのまま私も高円寺から下りに乗れなくて幾度となく泊まったりとか。
上手く寝れないんだよねーと言った私に彼女が服用していた催眠剤をちょっとだけくれて、二人で飲んで並んで寝たけどやっぱり効かなかったりだとか。
その当時仕事もそれ以外もお互いに不安定で、でも、もしもその日の第一声が「死にたいなー」であっても笑って話すのが当たり前の関係は結構良かったです。あと、四文屋のモツかけごはんは超うまい。
一度腕にいっぱい作った傷を見せられた時だけはどう反応していいか分からなかったけど、色々あっても、包帯を取って花を咲かせている姿を描きたくて下描きを始めました。結果、だいぶ自由にメタモルフォーズしてくれたと思う。

モデルになった子には最近会ってないけど「うめ」を気に入ってくれる方がいてなんとなく供養できた気持ち。